「得られる利益」と「失われる利益」

日々の生活はとかく判断の連続である。

目覚ましが鳴った瞬間に布団からすぐに飛び出して行動するか,二度寝するか。昼飯は何を食べるか。夜寝る前のひと勉強をするや否や。小さなことから。

ビジネス的な意味で,集客のためにプロモーション費用を200万円を投じるか10万円で抑えてメンバーの口コミで尽力するか。今この不景気だからこそ採用費用を捻出して優秀な人材を採るかあるいはぐっとこらえるか。中ぐらいのこともあり。

立法上,今このタイミングで緊急事態宣言に反する行動をとったものに罰則を科す法律を立法するか否か。二重国籍を禁じる法律は違憲か否か。比較的大きな視点もあり。

それら判断につきまというのは,なぜそれを選択したかという「判断の基準」である。

「おなかが減ったから」という私的な基準で,「食べる」という行動を行う。

「その費用を投じれば利益が見込める」という費用対効果の基準で,「投資」する。

「立法することで幸福を追求できる国民が増える」という得られる利益と失われる利益の衡量で,「立法判断」が下される。

なんでそういう行動をしたの?

納得の得られる回答を求められたことのある人はとても多いと思う。問われた際に「なんとなく」では納得感を得られ難いのは想像に易い。

そこに一つのエッセンスとして「判断の基準」があると納得感はぐっと増す。私的な基準であってもである。,

なんとなく,Aのデザインが良いと感じます。
より,
極めて私的な趣向ではありますが,Aのデザインが良いと感じます。
の方がおさまりが良い。

そしてさらに使いやすいのは上記で述べた二つの基準である。

・費用対効果

・得られる利益と失われる利益

特に「費用対効果」からの判断はビジネス上とてもよくつかわれる。使い勝手も良いし,わかりやすい。

200万円投資すれば,2000万円の効果が見込める。
過去の類似施策から見るにそれは極めて高い蓋然性を見込める。
だからこそ,200万円をここで投じるべき。

と数字を踏まえると更に納得感が増す。

そして次の「得られる利益と失われる利益」。
利益衡量の基準として,しばしば違憲審査の基準や,立法目的の基準で使われることを目にする。

出典:Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%95%E6%86%B2%E5%AF%A9%E6%9F%BB%E5%9F%BA%E6%BA%96

ビジネス上でも使える言い回しである。

現金支払いを中止することで100人が利用できなくなりますが,クレジット支払の2万人ユーザーに低価格でのサービス提供を実施することができ,さらに有効な新規ユーザーを得られることから,失われる利益より得られる利益が増すという判断で現金支払いの中止施策を推します。
など。