「人脈」という言葉の色

人脈を広げ方

みたいな言葉を見聞きすると、一定量の負の感情が沸きます。
これはもう反射神経みたいなもんで。人脈を躍起になって広げようとしている人と触れた今までの経験からくるということもそうですし、自分自身、ただ何かしらの功名心、あるいは利己心から有名な人とつながりたいって思っていた時期があったこともさながらですし。

https://blogos.com/article/338386/

この記事を見てふと「人脈」という言葉に触れた時の感覚を思い出したんですよ。

「『社会に出て人脈を広げる』と言っている人がいるが、よく考えてみると、人のことを金儲けの道具として見ているから出てくる言葉。その人と繋がっていれば、得するとか、儲かるとか、さもしい考えが奥にあるから使ってないって言えます?」
引用:https://blogos.com/article/338386/

たいていの人脈、人脈と言っている人々にとって、耳が痛い指摘なんじゃないですかね。

人と人とのつながりを大切にすることであったり、誰かとつながりたいと思うことそれら自体は、至極まっとうなんですよね。人が一人で成せることなんてたかが知れているんですから。

例えば

自分が企画、提案、案件の獲得、システムの設計は得意だけれど、デザインスキルがないんだよーって状態で、優秀なデザイナさんと組んでより良い成果物を上げたいんだーって場合。
これはお互いの足りないスキルをギブ&テイクで補って、共に目的にあった道を歩めそうです。

市に請願書・陳情書を提出して、行政の仕組みを一考していただきたいので、市議会議員を紹介して欲しい場合。
これもそんなに違和感はありません。陳情者にとっては行政への一打が欲しいわけですし、市議会議員にとっては市民への貢献であり、票につながる行動な訳ですし。

彼氏彼女が欲しい時に「紹介してよー」ってお願いする時なんてありありと。

例示なんてほかにぐっすら想像できると思いますし、本当に人とつながりたいってシーンが多く存在するってことは、きっと誰しも肌感で理解しているはずで。だからこそ、人脈の大切さってイメージもできる。

しかしながら。

しかしながらですよ。

こういう本当に人のつながりが必要な時って、あんまり「人脈」って言わんのですよね。これはもう上記紹介記事に類して、わたし一人が思っているわけではなくて、ある種の集合知として。

人脈、人脈と言うことを悪いと言っている訳ではなくて。
人脈って言葉を使うと「人を金づるみたいに見てるかも…」「あー、その辺の言語感覚が欠けている人なのかもなー」ってある種の色がついちゃうかもよってことなんですよね。そういうことを十分気にしなくてはならない。

言外の意味って本来の意味以上に強力ですから。