「自分らしさ/Authenticity(本来性)」の感覚

Authenticity

自分らしさって英語でなんというのだろうってちらほら見ていた時にたどり着いた語彙。全くの同義ではないのだろうけれど、そういう訳語で採用している論文がちらほら

自分らしさってなんだろうって提起はそこかしこに見受けられて、青い鳥を探す感じで路頭に迷ってしまいそうで目を覆う。例えばこの論文(https://core.ac.uk/download/pdf/56656565.pdf)のP23からすると、自分らしさを大きく以下3つに分類している。

■自己の構成要素
■自己の構成要素が引き起こす感情および情動
■自己の構成要素が促す動作

端的に言うと、自分らしさは自分を構成している何かを起点としていて、探索はまずは自分が何で構成されているかを見つめるところから始まるということである。
すなわち、今まで生きてきたものが空虚であれば、その構成要素も残念ながら空虚でしかなく、らしさなんてどこにもないんだって、青い鳥なんてやっぱりおらんのだって、そんな落ちが悲しみの結末として用意されていて空虚に拍車をかけてしまうんだってば!

何をしたか、何をしたいか、そして何をするか。
どう感じたか、どう感じれるか、そしてどう感じたいか。
割とだいたいコツコツと努力のいるものなんである。

ってことを昨日夜食で食べた特性牛丼(なんかUberEatsで配送料除いて1000円位した)も自分を構成する一つの要素となったなーって思いながら過ごす土曜日の朝。