死に際を思いながら感じる今やらない「リスク」

リスク、リスク、リスク

生きていると散々耳にする言葉、リスク。リスクってそもそも何なの?って人それぞれ答えを持っているだろうけれど、辞書的な意味だとこれ。

リスク
将来のいずれかの時において何か悪い事象が起こる可能性をいう。この概念をベースとして、金融学や工学、あるいはリスクマネジメントの理論の中で派生的にバリエーションのある定義づけがなされている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF

リスクと不確実性の比較なんてものもしばしば目にしたことがあるかもしれない。

リスク:起こりうる将来の事象について、その起こる可能性が測定できるもの
不確実性:起こりうる将来の事象について、その起こる可能性を測定できないもの

人生において、今ある自分、目の前の出来事に向かってコツコツ励むことは大変に素晴らしい。価値あるものだと思う。

ただ、例えば死ぬときに自分がどういう状態でありたいかってことを考えたとき、それは目の前の物事のみへの行動だけではなく、将来のために必要な何かへの行動が必要となる。死ぬときにどうやって死にたいかなんて、今は考えられないかもしれない。もしかしたら死ぬ1年前くらいにそれを思うかもしれない。その死ぬ1年前に「あー、大学院に行っておいたらよかったなー」なんて思ったとしても、きっとそれは叶わなくて。

だったらね、それは今思い立った今から準備して、絶対にトライしてみるべきなんですよね。

「今を生きろ」

それはとても抽象度の高い言葉で、文字面だけ見たら、未来のことなんて考えたって仕方ないって見方もできるかもしれない。そしてそのままの意味でとらえて、今ばかりを見ている人もいるかもしれない。それが悪いと言っているんではなくて。言いたいことは、今しか見ていないと将来の自分像にとっての「リスク」がそこに残るかもしれないよってことなんですね。

今を生きろって言葉には、今を積み重ねようって意味と、将来をただ危惧するのではなくそのために今すべきことをしっかりやろうって意味の二つが内包されると思っている。

死に際にありたい自分を思い浮かべると、今やれていない物事への「リスク」がね、ぷわぷわと浮かんできてソワソワするのです。いわんや5年後、10年後のありたい姿もしかり。