「多様性」の危険性 Tips

「多様性/ダイバーシティ」って良く見聞きする言葉。

SDGsの文脈(外務省 国際協力局 地球規模課題総括課資料)でもしばしば登場する。なぜ多様性が取り上げられるかって視点はこのあたりの記事が詳しい。

多様性にスポットがあたる事情を端的に整理すると,以下2点あたりがポイントであろうか。

■人種・肌の色・性別・出身地・宗教・ジェンダー・人種・民族・年齢などの「多様」さをしっかり活用して成長しよう
■生物種が環境変化に対応して生き延びていくには、多様性を持った集団のほうが有利である。

引用:https://diamond.jp/articles/-/237081?page=3

「多様性ってとても有益な視点だから,みんな違いを尊重しようね」って。

差別はやめよう。
違いを尊重しよう。

これには賛同したい。

ただ,多様性がすなわちすべての人々にとってハッピーか?という問いについては,必ずしもYESとは言えない。2015年のサイボウズの記事なんて,とても分かりやすい。

多様な国家では,すぐそばの隣人が害のある者か否かがわからないので,確認を前提とした文化が醸成される。「Hi!」ってどこでも声を掛け合うって文化は,みんなが陽気であるということ以上に,そういう背景もあるよって。

多様性≠みんながハッピー

これもよくわかる。
多様性を尊重するには,ある種の痛みも伴うよってことです。

このあたりを事前背景として,ふわーっと考えていたんですよね。

多様性の名のもと,とは言え多くの人から「NGだ」とされることってありますよね。

例えば女子割礼とか。
とある地域の文化においては善とされるものなのである。だからあるし,残っている。反面,他の文化では悪である。これは多様性の名のもとに,尊重すべきことか。個人的な善し悪しは抜きにして,冷静に捉えて欲しい。多様を,違いを尊重するということはこういうことにまで踏み込むことがあるということを。どこかでは善でも,どこかでは悪であることを。マイケル・サンデルのこれからの「正義」よろしくである。

そして,こういうことは世の中にいくらでもある。

そういう時,そういう文化は尊重すべきか,尊重すべきでないかの最終判断は誰が行うの?そもそもこういうセンシティブなことには触れるな語るなって感じですかね。いやいやそれこそ分断を生みますし,健全じゃないですよね。ルール化しようと思うと適切な判断基準が必要となる。

おそらく,最終的な判断って国家権力であり世界権力なんですよね。
それが良いかは否かは別として。
個々人での判断は極めて難しいので。

多様性の加速により,相対的には権力が肥大化して行くよってことです。