「シャーデンフロイデ」は他人の不幸を喜ぶ心

「他人の不幸を喜ぶ」

字面だけ見ると恐ろしく,なんてことを言うんだって気持ちになるけれど,こういう気持ちって誰しも持っているように思う。

・学生時代,ライバルが自分より低い点数だった時
・同僚の評価が下がった時
・自分よりちょっと美人が離婚した時
・金持ち自慢が過ぎる芸能人が路頭に迷った時
・自分を振った彼氏が次の彼女に金をむしり取られている時

大なり小なり,他人の不幸を見て快感を得た経験ってあるんじゃないだろうか。あったとしても隠すようなことではない。この「シャーレンフロイデ」って言葉が存在しているということが表すように,そういう心ってのは割と一般的なのである。なきゃないで別にそれはそれで良い。
それ自体を卑しい感情だとして蓋をしてしまうのは簡単だけれど,そういう感情がなぜ生まれるのかって考えることには一定の価値はある。

よくある説は,不幸な人間をあぶりだして排除することで社会を維持しようするものであったり,そういう感情がある方が生き残る可能性が高かったからだというものであったり。

いずれにせよ,他人の不幸に敏感になった方が人間の方が生存確率が高いと。

そういう事だろうか。

あるいは,不幸になっている人に敏感になって,そういう人たちを積極的に救えた人が生存確率が高かったという見方もできる。

前者と後者とではえらい違いはあるけれど,まあまあそういうセンサーがあるってことは,それを有意義に使う選択肢が我々にはあるってこと。

センサー自体は機能なので,如何にそれを活用するかが本当の意味で生存確率の向上が見出せる。